「尊厳死法」案の国会上程ー成立を阻止しよう

                       宮城・「障害者」への介護保障を求める会

 周知のように、今年の4月24日、自民、公明、民主、「日本維新の会」などの与野党で構成する「尊厳死法制化を考える議員連盟」と自民党の「尊厳死に関する検討プロジェクトチーム」は、「終末期医療における患者の意思尊重に関する法案(仮称)」なる「尊厳死法」案を議員立法として国会上程することを明らかにした。国会では提出を見送ったものの、今秋の臨時国会以降、「尊厳死法」案の上程が目論まれている。首相・安倍もすでに2012年の段階で「最後は尊厳をもって人生を終わりたい。医者の側も安心して対応できるような仕組みを考えていきたい」と言い放ち、積極的に「尊厳死法」案の成立を推進しようとしてる。

 

 今回の「尊厳死法」案の主な骨格を要約すると、「適切な治療を受けても回復の可能性がなく、死期が間近と判断される状態を終末期」と定義し、「一五歳以上の患者が延命治療を望まないと書面で意思表示したとき」「二人以上の医師が終末期と認めた場合、延命治療の中止」としている。更に延命治療を打ち切っても医者の刑事、民事などの法的責任は問われないとしている。

 

 以下、「尊厳死法」案に対する批判点を簡単に述べていくことにする。

 

 第1の批判点は、「尊厳死法」案は、他人との意思疎通の難しい状態にある患者、人口呼吸器などを付けなければ生きていけないALSなどの「重度障害者」、また「脳死」「植物」状態やガンなどの重篤な患者の命を、国家や医療機関が患者が「自分の意思によって決定した」として、「死」を法律で強制するものだということである。

 

 「死生観」は個別・個人のものであり、「尊厳」の名の下での法律で、国家や医療機関などがそれを奪う「権利」なぞはない。

 

 第2に、「尊厳死法」によって、「重度障害者」や重篤な患者や家族に対して、「回復しないならば、生きていても仕方がない」「尊厳ある死に方を」と社会的な無言の圧力が更に強まることは間違いない。また、医者や医療機関が無制限に「終末期」の定義を拡大させるばかりか、患者との意思確認も曖昧なままに延命治療を打ち切る危険性がある。

 

 2005年に発覚した富山県射水市民病院における外科部長と他の医者2人が7人の患者の延命治療を中止して死亡させた事件は、その危険性を端的に示したものであり、記憶にも新しい事件である。

 

 第3に、1976年に「日本尊厳死協会」を設立し、理事長になって「運動」を進めてきた太田典礼は、「老人。難病者、障害者は半人間であり、生きていても仕方がない」と言い放っている。その「思想と運動」の流れを捉え返してみても「尊厳死法」案の本質は、人口呼吸器や経管で栄養を摂取して生きている「重度障害者」や重篤患者は「生きていても仕方がないから抹殺しろ」ということである。更に「尊厳死法」を成立させ、それを水路として策動されているのが「安楽死法」だ。

 

 言うまでもないが、「尊厳死法」「安楽死法」の根本に通底するのは、「社会の役に立たない者は生きている価値がない」という優生思想であることは明らかだ。

 

 今日、政治的経済的危機に喘ぐ安倍極右政府は改憲、「集団自衛権」の行使などを叫び、戦争のための政策作りに奔走している。政府の戦争政策と「尊厳死法」案の成立策動は、一体のものである。

 

 第二次大戦中に、日本で「国民優生運動」なるものが組織され、多くの労働者人民が動員された。今日、「尊厳死法制化を考える議員連盟」が「尊厳死法」案成立に向けて、どのような「運動」を展開するのがは、今のところ定かではないが、「法案」成立の先兵となって動きを強め、労働者人民を煽動するであろう。

 

 多くの「障害者」「知的障害者」「精神障害者」が隔離・抹殺されてきた時代の再来が迫っている。「尊厳死法」案の国会上程と成立を絶対に許してはならない。

 

 全国「障害者」解放運動共闘会議の仲間と共に、「尊厳死法」案の国会上程と成立阻止に向けて、差別糾弾闘争として闘う所存である。