公的介護制度と友人関係の違い

~地域社会での自立生活と現在の制度についての私の主張~

 

福岡・「障害者」解放をめざす会 利光 徹

 

 私は32年にわたって、いわゆる地域で自立生活を営んでいます。私の場合は、一貫して自分の介助者は自分で探していくという、今や伝説のように言われているやり方を貫いてきました。

 三十数年前にさかのぼると、そのころというのは、障害者に対する制度的なものは乏しく、今のような24時間介護保障などはまったく存在しない時代でした。その当時、私が所属している全国青い芝の会では、障害者の自立生活というものは、障害者が地域で住むことによって、地域住民との葛藤や摩擦を起こしながら、相手側の意識を変えていくものであるという定義があり(この定義は現在も生きています)、したがって私も26歳の時、親元から飛び出しました。当時としては「お前は遅い」と周りからかなり言われ続けてきました。私にとって自立生活の原点は、まず肉親からの解放であり、それを達成した時の充実感は、今も鮮明に覚えています。

 しかし実際の自立生活は、精神的な充実感はあったものの、物理的には想像をはるかに超える厳しい現実が横たわっていたことも事実です。そうしたなか、まず私が考えたことは、やはり自由にいつでも動けるような体制を作っていかなければならないということでした。大学に毎日通って介助者募集のビラをまいたり、教育研究集会などに出かけては、障害者の立場から教師たちに「障害者と向き合え」という問題提起をくり返し行なってきました。また、様々な集会などの場で出会った人たちに対して、わずかな時間でも自分の時間を割いて私たちと共に過ごす時間を作りましょうという呼びかけを、延々と続けてきました。

 しかし、90年代後半から行政による障害者の生活への介入が激しくなり、一方ではそれを具体化した制度設計が行なわれていきました。多くの障害者団体はこれを評価し、「制度のさらなる充実」を旗に掲げてきました。その背景として私が分析するには、2つの要素があったように思われます。一つには、社会情勢の変化に伴い、障害者に関わろうとする健全者が極端に減ってきました。一例をあげるなら、大学などで情宣活動をしていると、新興宗教と間違えられたりもしました。職場環境の悪化で業務が増えたために、教員や公務員などが、われわれと関わる意思はあっても現実的にはなかなか関われなくなったという状況も、この20年近く続いています。二つ目の要素として、障害者側にも、健全者側にも言えることだと思うのですが、制度が出来上がっていくにつれて、わざわざ無理をして互いに関係を持とうという意欲が薄れていった。そのような感じを私はもっています。

 もちろん私は、公的介護制度がなくていいと言うつもりはありません。制度がなければ生きていけないという仲間たちがいることも知っています。私が言いたいのは、現在の制度が本当に障害者のための制度になっているのかということです。この原稿を読んで下さる方々に考えてほしいのは、地域で自立生活をするという大きな柱を、今どれだけの仲間たちが心に焼き付けて解放運動をやっているのかということです。

 一方では、CILのような運動として、自分たちでNPO法人を作って、そこで職員と称して介助を保障させるような傾向が、一段と強まっているような気がします。そういったものを使うのも使わないのも、もちろん当事者が決めることであり、私がいいとか悪いとか言う立場にないことも承知しています。しかし私が言いたいのは、私は今の生活を続けてきたおかげで、様々な人たちと出会い、お互いに学び合い、ケンカもするし一緒に酒を飲み交わす関係を現実に築くことができ、全国各地に友人と呼べる人たちを作ることができたということです。

 私がなぜこういう生活様式にこだわるのかと言うと、まず第一に、障害者と健全者の関係性を職業化・商業化してよいのかということ、そのことに大きな疑問をもっているからです。差別―被差別の関係性を抜きにして、介助を商業化してよいのか。そうなれば、介助する側もされる側も緊張関係がなくなり、変革の努力もしようがなくなり、互いに「仕事だから」と割り切る関係になってしまいます(現状では必要悪かも知れませんが)。

 第二に、基本的な問題ですが、制度上の問題として、24時間、何をどう使おうが本来は当事者が決めることであるにも関わらず、現状では「総合支援法」や他の法体系によって、時間数や介助の内容までもが一握りの人間によって支配されていることです。この現状をどう見るのでしょうか。私のように行きたいときに海外に出て、障害者同士で交流するとか、そういうことはできないでしょう。制度設計自体、現在、内閣府において障害当事者を一応含めた形で行なわれているとはいえ、ほとんど当事者の意見は反映されないというのが実情です。

 こうした観点から見れば、今の障害者福祉制度は極めて脆弱で、時の政権によってコロコロ変えられていくものでしかありません。この現実を皆さんはどのようにお考えですか。それよりは、できるならば地域での自立生活にもう一度目を向けてほしいと思います。私のような生き方をやっていける人は多くいると思うのですが、自らを追い込むことなく楽な方に流れている当事者が多いのではないかと、私は常々感じているところです。

 以上、私の考え方を述べさせて頂いて、今回の投稿とします。