唐島秀人君を追悼する

広島・「障害者」解放を進める会

 

 2015年9月5日、「広島・『障害者』解放を進める会」のメンバーだった唐島秀人君が、肺炎により、広島県安芸郡の病院で逝去しました。1969年広島県生まれ、享年46歳でした。

 

 唐島君は、「脳性麻痺」という「障害」があり、15歳まで施設での生活を余儀なくされ、高校進学後は自宅から地域の養護学校に通っていました。養護学校卒業後、地元安芸郡熊野町にある作業所に親元から通っていましたが、2013年2月、本人が養護学校在籍時から強く望んでいた〈自立生活〉を開始しました。

 

 〈自立生活〉開始後は、2014年11月に「広島・『障害者』解放を進める会」に入会し、私たちと活動を共にしてきました。「広島・『障害者』解放を進める会」の月一回のビラまきと学習会に率先して参加し、2014年12月の全国「障害者」解放運動共闘会議(全「障」共)第2回全国大会に参加しました。全国の仲間とともに2015年4月1日、「障害者総合支援法」施行2ヵ年糾弾闘争、2015年7月5日、「心神喪失者等医療観察法」施行10ヵ年糾弾の対国立精神・神経医療研究センター(旧武蔵病院)デモに参加し先頭で闘いぬきました。

 

 唐島君は、以前より「障害者」の〈自立生活〉について利用者とヘルパーとの関係ではなく介護を通じ、対等な関係を築いていきたいと話しており、まさにこれからその第一歩を踏み出そうとしていました。

 

 〈自立生活〉に入ってからの2年8ヵ月という期間は、あまりにも短く、これからやろうとしていたことを思うと残念でなりません。

 

 唐島君は、まさに死の直前まで「障害者」解放闘争に闘志を燃やし闘いの中で生きました。

 

 深い哀悼の意を表するとともに、私たちは唐島君の遺志を引き継ぎ、これからも「障害者」解放を闘う仲間と連帯しすべての差別を撤廃する闘いを闘っていきます。

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コメント: 1
  • #1

    府中町訪問看護ステーション 堀川章代 (月曜日, 19 3月 2018 10:33)

    追悼のページ拝見いたしました。
     唐島君の永眠を知らずに、先ほど彼のメールに送信してしまっていました。ブログがアップされていたらと思って検索したら、このページにたどり着きました。
     独立生活、とても立派でした。身体は不自由ながら、しっかりと自律してました。
    私が熊野で関わらせてもらっていた時、年が同じでなんとなく同級生感覚でおりました。
     今頃は身体も自由に生活している事でしょう。ご冥福をいまさらながらに願います。