閉ざされた空間

 天皇上陸阻止沖縄青年実行委員会 大城良司

 

 私の弟が入院している精神病院は、最近、やたらと増改築をする。それをくり返す度に、病院そのものは、見た目は妙に綺麗になっていくのであるが、もともと病院の敷地内にあった樹木や土といった自然なものが消えていくのである。弟は、今の病院に入院して、すでに四半世紀以上が経過しようとしている。病名は「統合失調症」であるが、かかりつけの医師の話では、回復の見込みは「今のところない」という診断である。弟の症状は、極めて重い状態であり、「一般的な社会生活を送るのは難しい」という。しかし、そもそも「一般的な社会生活」とは、一体何を指してそう言うのだろうか。

 

 労働者であれば、会社などの働く場所へ通勤するのが日課であるし、学生ならば、毎日学校に通うのが日課であろう。しかし、弟のような重い「統合失調症」を患う者には、確かにそのような生活を送るのは、まず無理であろう。だからと言って、精神病院の中に閉じ込めて一般社会から隔絶し、閉ざされた空間で生活させることが、何故、ベストな状態だと言えるだろうか。

 

 弟が入院している病棟は、「閉鎖病棟」であり、一見すると極めて衛生的でクリーンな環境空間に映る。だが、その空間には前述した「樹木」や「土」といった自然なものが、まったくないのである。床も天井も壁も無機質なコンクリートや木材で造られているのである。これが、人間の生活する空間だろうか。こんな空間で生活することが病状の改善に繋がると、果たして言えるのだろうか。

 

 那覇市内の中心部にある公園では、大勢の「ホームレス」や、野宿生活の日雇労働者を目にする。その中に混じり、目にするのが、「精神障害者」である。公園内にある「県」立、市立の2つの公立図書館でも、やはり野宿の労働者と並んで本をめくっている「精神障害者」の姿を見かける。時折、大きな声を上げる「病者」もいるが、周囲の人たちも慣れたもので、「あぁ、いつものことか」といった具合で、さして気にとめる人はあまりいない。

 

 だからといって、「精神障害者」への偏見や差別観がないという訳ではなく、「精神障害者」が沖縄社会の中で「役立たずの存在」として、歪んだ意味でその存在を黙認されているに過ぎない。ただ、辛うじて、少なくとも那覇市内においては、この2つの公立図書館を置いているこの公園のみが、彼等、彼女等の存在を許す空間なのかも知れない。

 

 2つの図書館には、新聞を閲覧できるコーナーがある。ある日、私が市立の方の図書館で地元紙をめくっていると、隣に「独語」をぶつぶつと言いながら30代くらいの男性が、新聞をめくり始めた。しばらくすると、向かいでやはり新聞をめくる70代くらいの男性が、こう言ったのである。「ソーキ骨が一本足りないんじゃないのか?」。「ソーキ骨」とは、沖縄の言葉で肋骨のことなのだが、それが一本足りないのではないのかと言っているのだ。沖縄では昔からこういった状態の男性を、肋骨が一本足りないからそんな風になるんだという「迷信」がある。私が、そんなことを言う男性にどんなに説明しても、また同じ言葉を男性に投げかけるのである。こういった、沖縄に昔からある「精神障害者」への差別意識を、戦前の日本帝国主義は天皇制イデオロギーの中で助長・育成したのである。沖縄でいう「ユイマール」という助け合いの精神なるものの限界性を、こんな日常の些細なやり取りからさえも、感じるのである。

 

 2つの公立図書館がある公園には、至るところに南国特有の植物が植えられている。その植物群の中で様々な病状の「精神障害者」の人たちがたたずんでいたりする光景をよく目にする。

 

 いつも、その中を一人とぼとぼと歩く20歳前後の女の子がいる。年末・年始の炊き出しや衣類放出をこの公園でやるのだが、この女の子はいつも無言で並んでいる。ある年の衣類放出の際、赤いジャンパーを手渡すと、嬉しそうにしていた事がある。この女の子をここで見かけるようになり、すでに5年くらいになるが、行政や医療機関が何か手を差し伸べる様子はない。たまに公園内で大声を上げているが、彼女もまた「精神障害者」の一人であり、沖縄社会のユイマールの外で生きる孤独な沖縄人なのである。われわれが、声をかけても、その度にダッシュで逃げ去ってしまうのだが、われわれこそが、彼女に手を差し伸べていかなければならないのである。

 

 この公園と、その中にある2つの「県」立・市立の公立図書館は、沖縄の社会からは「閉ざされた空間」である。入院する弟の「閉ざされた空間」と唯一異なるのは、「樹木」や「土」といった自然なものが存在するという事実である。樹木や土は、彼等、彼女等をまるで包み込んでいるかのようである。この閉じた空間から、沖縄の「障害者」解放運動を、まずは、始めていくつもりである。もちろん、沖縄のすべての閉じた空間に閉じ込められている、ありとあらゆる「障害」を持つ人たちは、等しく沖縄「障害者」解放を目指す我が隊列へと加わることを、強く訴えるものである。「沖縄・『障害者』解放をめざす会」(仮称)の結成へ奮闘する決意である。