沖縄から考える「障害者」解放運動

                            全「障」共全国幹事・大城良司

 

沖縄社会の比較的穏やかな空間

 

 沖縄社会の中で、「障害者」解放について語り、その運動を進めていくに当たり、その障壁となるのが、沖縄社会の比較的緩やかな空間である。

 

 沖縄労働者人民の中で、「障害者」全般への偏見や差別が存在するのは事実である。しかし、それが、日本「本土」と比較した場合、どうなのか? と考えてみると、まだまだ、沖縄社会の空間には「障害者」が生活していける「隙間」のような空間があちこちに点在しているのも事実である。その「隙間」とは一体何なのだろうか。

 

 例えば、最近東京などの都市部で問題となっている駅のホームでの「視覚障害者」の線路への転落事故の問題であるが、沖縄などでは、まずこういった問題は起り得ない。例えば、「視覚障害者」が、信号待ちをしている場面を見ると必ずといって良いほど、誰かが声掛けを行なう。高校生、主婦、サラリーマン、OL。様々な種類の人たちが声を掛けていく。また、当然のように一緒に横断歩道を渡っていく光景も珍しくはない。沖縄には短い距離を走るモノレールがあるが、駅構内やホームでも似たような光景を目にする。沖縄でモノレールが開通してすでに、10年以上経つが、「視覚障害者」が線路へ転落したという事故は、いまだに聞いたことがない。「ユイマール」という沖縄社会の助け合いの精神が、限界性を含むものであるにせよ、「障害」のある人の手助けをしなければならない。という感情が沖縄労働者人民の中に息づいているのは、紛れもない事実である。こういった緩やかな「隙間」が、逆に「障害者」解放を沖縄内部で語り、進めようとする時に障壁となるのである。こういった「形」がすでに出来ているのに、敢えて「障害者」解放などと語る理由など、あまりないのではないのか?という疑問の声さえ上がる場合もある。私がとりわけこだわり続ける「精神障害者」差別の問題にしろ、確かに露骨に街中で排除するという光景は、あまり目にしない。「精神障害者」特有の着衣の乱れといった見かけや、独語や大声を上げるといったことでさえ、よほどのことでもない限り、沖縄の人たちは、あまり気にしない。緩やかなこういった空間の中にある「隙間」は、返って逆に「障害者」解放を語る意味性に疑問の声が上がるのも、一見無理はないのかも知れない。最近起った相模原での「障害者」施設での元職員の男による、大量殺傷事件も沖縄社会では、対岸の火事でも見ているかのような雰囲気が漂っている。しかし、それでは「障害者」と「健常者」との間に〈共闘・共生〉の関係が出来ているのかといった場合、それは否である。やはり、一部の経済的にゆとりのある、あるいは一部の意識の高い家族の中の「障害者」を除いて、グループホームや精神病院、障害者専用の養護施設などでの生活を余儀なくさせられているのは、事実なのである。また、自治体や一般企業での「障害者雇用枠」で採用され、働き始めても周囲の「健常者」の労働者らの理解が得られず、差別・蔑視されて、結局は辞めていく「障害者」も決して少なくはないのである。緩やかな空間の中で存在するのは、日本「本土」と変わらない、資本主義的生産様式であり、その中では、「健常者」と区分けされた立場での疎外された形の労働様式しか存在しないのである。そんな労働現場で「障害者」が「健常者」と共に、生きいきと働いていけるはずなぞないのは必然なのである。沖縄社会の中の労働現場が日本「本土」と同様の資本主義的生産様式を強いるものである限り、「障害者」の解放なぞ絶対にあり得ない。沖縄と日本「本土」を貫く革命的共同で、あらゆる職場・生産点での「障害者」「健常者」との〈共闘・共生〉をかちとっていかなければならない。

 

 「障害者総合支援法」が施行されてから、沖縄でも日本「本土」と同様に、街中の至る所に、「障害者」のための「就労支援施設」が目につくようになった。それらの施設は、「就労支援A型」あるいは「就労支援B型」または「就労移行型」などとの名称で、「障害者」全般を労働現場で働いていけるように支援していくという「名目」で、パソコン操作の基礎的な訓練や、簡単な小物(「安い材料を使って製作した『コースター』や『バッグ』、あるいはその地域の特産品のお菓子の商品や菓子パン」などといったもの)の製作作業などを行なわせるが、「工賃」という名称の、「各都道府県で定められている最低賃金」を遥かに下回る賃金(「時給・日給」)で働かされているのが、実態である。専門家の間では、これらの施設は、いわゆる「貧困ビジネス」となんら変わらないという指摘もあり、その指摘は正しいであろう。「健常者」と何ら変わらない労働をさせて、遥かに安い賃金を払い、「障害者」が一日その施設を利用する度に、行政から一日数千円の支援金が、各事業所に支払われる。その支援金の殆どを各事業所は、半ば、「ピンハネ」しているのである。これでは、いまだに問題となっている「派遣会社」のピンハネ行為とあまり変わらないか、それ以下である。しかも、多くの事業所には、そういった施設とは、全く縁もゆかりもない様々な企業がバックとしてついており、ピンハネしたお金をその企業の運転資金にまわしている実態が、まかり通っているのである。これでは、ただ、「障害者」を食い物にしているに過ぎない。こういった悪質な事業所らに対抗する形で「各都道府県で定められている最低賃金を支払っていこう」という運動体が存在する。「社会事業所」という名称の事業所を造り「障害者」総体が「健常者」と変わらない「各都道府県で定められた最低賃金」を受け取り、働いていこうという運動である。実際、そういう事業所は、一部の県に存在しているし、そういう事業所を努力して設立していこうという講演会活動も、「沖縄を含めた各都道府県」で行なわれている。それ自体は、否定するべき行為ではないし、大いにやってしかるべしであろう。「介護」の商品化の下で、前述した悪質な事業所が「障害者」全体を食い物にしているのは事実であるし、それに対抗していこうというこういった運動体そのものは極めて良心的であり、否定はできない。しかし、その運動体だけでは、「障害者」全体を差別・蔑視している資本主義社会そのものに打撃を与え、打ち倒していくという闘いにはならない。われわれ全「障」共が、その柱にしている〈差別糾弾〉という闘いとは、全く別の代物であるし、「健常者」との〈共闘・共生〉を目指すわれわれの運動方針とも、全く異なる運動体でしかない。われわれが目指しているのは、そういった体制内改良主義的な運動ではなく、「障害者」「健常者」が共に分け隔てなく生きていける、共産主義社会の実現である。共産主義社会こそが、「障害者」全体が差別や蔑視から真に解放されて、人間としての尊厳を損われずに、当り前に生きていける社会なのである。

 

 沖縄の社会が、いかに緩やかな空間であっても、資本主義社会の一郭をなしているのは確かなのであり、その中で「障害者」全体が一定程度、緩やかに生きられる「隙間」が存在したとしても、「障害者」は、隙間で生きることのみが許されるのであれば、それは沖縄の「障害者」全体もやはり、その存在は不幸なものでしかない。沖縄の「障害者」全体がその存在を社会的にも「健常者」となんら変わらない、当り前の広い社会的空間で自由に伸び伸びと生きていける社会こそが、必要なのである。「障害者」全体がその存在を堂々と明らかにして、狭い「隙間」で生きるのではなく、「健常者」と同じ、広い社会的空間の中で、生きていくべきなのである。そのためには、前述した共産主義社会の建設が必要なのである。

 

沖縄の反戦・反基地運動とどうやって「障害者」解放運動は結びついていくのか

 

 現在しきりに地元マスコミ等を通じて叫ばれている問題が、東村・高江での大阪府警機動隊員らによる、高江ヘリパッド建設に反対する沖縄労働者人民への「土人」「シナ人」発言である。この言葉には、紛れもないわれわれ沖縄労働者人民への日本「本土」側支配階級の差別意識が表れており、到底容認出来ることではない。しかし、こういった機動隊員らに対して、反対派側の沖縄労働者人民が浴びせる抗議の言葉も、やはり到底容認出来ない言葉が多い。「キチガイ」「お前等もやがて頭がおかしくなって『精神病院』にはいるぞ」なぞと、「精神障害者」差別を煽るような言葉が次々と飛び交っている。

 

 沖縄の反戦・反基地闘争の現場でこういった「精神障害者」への差別発言が何の躊躇もなく、飛び出してくる背景には、沖縄の中で「障害者」解放運動が全く何もなかったことが原因ではあるのだが、沖縄労働者人民の闘いと関わってきたわれわれを含む新左翼諸派が、そういった問題性を抱えているのを承知で、そのことを各闘争の現場で、結集している沖縄労働者人民に、その誤りを指摘することを怠り、放置してきたことが、一つには最大の原因とも言えるのである。

 

 沖縄問題が、とかく「基地問題」のみに集約されがちであり、広大な米軍基地に圧迫された沖縄社会が、日本「本土」と大きく開く経済的格差や、そのことから生じてくる「貧困」や生活苦から発生してくる多くの「精神障害」、その他様々な種類の「障害者」の人たちの問題を、置き去りにしてきた沖縄の反戦・反基地運動と「障害者」解放運動をどういう形で結びつけていくのかが、沖縄の「障害者」解放運動の大きな課題ではないのだろうか。沖縄の反戦・反基地運動と、沖縄の「障害者」解放運動が同じ一つの車輪となって動き始める時に、その時初めて沖縄人民解放闘争として、その二つの闘いは互いに相互媒介的に高揚していくのではないのだろうか。

 

 沖縄労働者人民は、現在確かに高江・辺野古といった、日・米帝の基地建設強行に対して、その身を省みず闘っているのは事実である。しかし、その現場の闘いを担っているのは、60代後半から、70代にかけての団塊の世代の「健常者」が中心となっている。残念ながら、「障害者」の人たちは僅かな数の人たちしかいない。

 

 沖縄問題が、「基地問題」一辺倒に集約されている限りにおいて、沖縄の「障害者」全体は、一部の人たちを除き、高江・辺野古の新基地建設の闘いとは、全く無縁で関係ないと捉えている。昨年発生した嘉手納基地所属で軍属の元海兵隊員の男による20歳の沖縄女性の暴行殺人事件でさえも、沖縄の「障害者」全体は、ごく一部の人たちを除き、無関心である。この事実は一体どう説明すればいいのかということになるのだが、詰まるところ、結局は、沖縄社会全体から除け者にされている自分たち「障害者」全体から見れば、そんな除け者扱いをしている社会で、同じ沖縄の人間が、米軍属で元海兵隊員だった男に惨殺されようが、自分らには関係ないという感情にまで追い込まれているとも言えるのではないのだろうか。日帝支配階級から、自分を含めた沖縄社会全体の沖縄労働者人民が、どこまでも踏みにじられて犠牲を強いられていようが、傍観者的な視点で、他人ごとでしかないというところまでその感情は、「渇き切っている」としか、考えられないのである。確かに団塊の世代の「障害者」の人たちの中には、怒りを露にする人たちも私は目にしている。それは、日本「本土」への「返還」前の米軍の軍事統治下で日本の現行憲法から除外された全くの無権利状態だった沖縄社会をリアルタイムで過ごした体験からきているのであろう。しかし、その下の世代の「障害者」全体は、前述したように、驚くほどまでに無関心であり、渇き切っているのである。

 

 それでは、この渇き切った沖縄の「障害者」全体が、どうすれば沖縄の社会を傍観視するのを辞めて、沖縄の痛みを我がものとして感じ取る感性を、獲得していくのかという問題になる。沖縄社会を傍観視している沖縄の「障害者」全体自体も、その姿勢を変えない限りは永久に沖縄労働者人民から差別・蔑視され、除け者扱いからは解放されない。まず、私が個人的見解として主張したいのは、除け者扱いをされているのと同時に、社会的な「弱者」だという規定を沖縄労働者人民から受けているそのこと自体を、沖縄の「障害者」全体が、きっぱりと否定する姿勢を取ることから始めなければならない。社会的「弱者」という規定は、物事の善し悪しを判断する能力が弱いといった決め付けや、感受性などが弱い、あるいは無いとまで極論するところまでいってしまうのである。そんな間違った規定に甘んじている限り、沖縄の「障害者」全体は、沖縄の基地問題やその他諸々の社会的政治的諸問題すら、判断出来ない存在だと、どこまでも差別・蔑視されたままでいることになってしまう。

 

 沖縄の反戦・反基地運動が、これほどまでに沖縄全土を揺るがす事件が起きても、いま一歩盛り上がりに欠けて沖縄階級闘争、沖縄人民解放闘争へと発展しきれないのは、「障害者」を始めとした、沖縄の社会で片隅に追いやられている人たちを、「除け者」にしているからではないのか。「オール沖縄」という時、その定義から、肝心の沖縄社会でもっとも正面から向き合ってもらえていない人たち、すなわち「障害者」全体の存在を、すっかり忘れ去られてしまっているからではないのか。沖縄問題を語る沖縄のインテリたちが、誤った「障害者」観を抱いている印象は拭えない。私自身が、若い頃から、「精神障害者」の若者として、闘争現場で経験してきた経緯があるからだ。「若くて、異質なやつは変なやつ」。

沖縄の「障害者」全体は現在の沖縄問題にどう挑むべきなのか

 

 私がかつて20歳のころ、初めて沖縄現地での反戦デモや本島各地の闘争現場で参加した時、私に向けられた視線は極めて「精神障害」を患いつつも、反戦・反基地闘争に起ち上がろうとする一介の若者への信じ難いまでの、偏見や差別だった。デモなどへの参加は、18歳のころが最初だったが、それは、東京の狭山集会やその関連でのデモが最初だったので、この自分が生まれた郷里での反戦・反基地デモ参加者に向けられる自分を含めた「精神障害者」への偏見・差別は、逆に、沖縄の反戦・反基地運動を行なっているウチナンチュの大人たちへの凄まじい反感となったのを覚えている。その当時、私に対してそんな感覚で接していた方々は、すでに消滅している。仕方あるまい、消滅して「必然」である。

 

 沖縄人民解放闘争は、沖縄の「健常者」のみが闘う闘争なのだろうか。それは違うのではないだろうか。沖縄の社会で片隅に追いやられた沖縄の「障害者」全体の気持ちを少しも理解しようとはせず、切り捨てる現在の沖縄問題研究家や在沖の基地問題の研究家やその他インテリ層のみが沖縄階級闘争、沖縄人民解放闘争を仕切り、指導出来るのだろうか。それは、否である。沖縄問題とは、前述したように「基地問題」のみで集約出来るものではない。「沖縄戦」が残した傷は、単なる沖縄の伝統的な建築物の破壊や、沖縄の自然の破壊、多くの沖縄労働者人民に死を強制したということのみではない。多くの沖縄労働者人民の精神や身体に深い傷を残したのである。

 

 精神や身体を傷つけられた、いわゆる沖縄の「障害者」として戦後を生きた人たちの苦悩をなぜもっと真剣に見つめようとはしないのだろうか。それは、沖縄戦以前からある「障害者」全体への偏見や差別意識が、沖縄問題や在沖の基地問題の研究者やその他の沖縄インテリ層の人たちの心情に染み付いているからではないのか。沖縄戦で傷ついた人たち、様々な「障害」を持って戦後を生きてきた人たちを除外し語る沖縄問題論や在沖の基地問題論なぞは、肝心のその大多数の「当事者」を置き去りにした代物でしかない。

 

 在日米軍基地の約74パーセントが集中しているということも然る事ながら、1972年の日本「本土」への「返還」と同時に進駐してきた自衛隊の存在も軽視出来ない。沖縄社会を日米軍事基地が圧迫する中で、沖縄社会は、政治的にも、経済的にも圧迫された息の詰まる生活空間となっている。その中で、必然的に精神を病んでしまっている「精神障害」を患う人たちの数は、現在約3万6000人余りに昇るとも言われている。これらの現実に目をそらしている者に、沖縄問題を、在沖の基地問題を語る資格なぞないのではないのだろうか。ちなみに、沖縄の総人口は、約140万人であるから、その発病率の高さが際立っているのがわかるはずである。

 

 一言で言えば、まずは、己の姿・形・精神の在りようを省みずに、沖縄の闘争現場に足を運ぶことから始めなければならないであろう。もちろん、それが難しい「障害者」は、インターネットなどの情報通信システムを駆使して、自分の考えをマスコミ等へ発信してみてもいいだろう。とにかく、主義・主張を発しなければ話は始まらないのである。そういった行為を通して、社会参加をしていくことから始めなければならない。そういう行動をすることにより、社会的「弱者」なる規定をも崩していくのである。また、同時に、「健常者」の誤った「障害者」観を正していくことにも繋がるのである。「『障害者』は何もできない」。それこそ、日帝や資本家や、それに追随する支配階級の思想であり、ファシズム優性思想の現れなのである。沖縄の「障害者」全体の怒りの力を集中し、そんな思想なぞ、粉砕してしまわねばならない。沖縄問題の中核を担うべきは、本来われわれ「障害者」全体なのだということを示さねばならない。「健常者」全体のみを、全面的に押し出す、沖縄人民解放闘争なぞあり得ない。沖縄のとりわけ日帝足下で、余りにも理不尽な扱いを受けてきたのは、沖縄の「障害者」全体である。それを踏まえた上で、沖縄問題、在沖の基地問題は本来語られるべきなのではないのか。沖縄の現在の「障害者」全体を置き去りにした反戦・反基地運動は、やがて、尻すぼみ状態になり、前述した方々と同様に消滅していくであろう。沖縄問題とは基地問題であり、「貧困」イコール「障害者」差別・蔑視の問題である。この社会の縮図が沖縄問題の重鎮たちには全く理解出来ていない。だから、機動隊に向かって「キチガイ」という言葉が出てくるのである。

 

 度々行なわれる、「県民大会」に今まで何度も足を運んできたが、万人単位の「県民大会」の会場をいくら見渡しても、車いすの「身体障害者」や「精神障害者」やその他の「障害者」を見つけるのは、難しい。「身体障害者」の総数は沖縄だけで約6万7千人居ると言われている。しかも、その両方の「障害者」の数は、毎年増え続けているのである。劣悪な沖縄の労働条件下で身体や精神に「障害」を患う沖縄労働者人民や、全国一の貧困率の中で授業料や校納金が納め切れずに、正常な学校教育を受けることができず、そういった過度な精神的苦痛から精神に「障害」を患う子供たちも少なくはないのである。在沖の日米軍事基地問題は、米兵や自衛隊員たちの起こす「事故」や「犯罪行為」のみが、とかくクローズアップされがちであるが、軍事基地に圧迫された沖縄社会は、戦後70年以上経った現在でも、各産業部門の立ち遅れにより、就労場所が限られ失業率が全国一高く、年間の「県民所得」も全国最低である。そういった中で、労働環境は、劣悪であり、学校現場も混沌としているのである。マスコミが撒き散らす「癒しの島」なるキャンペーンがデタラメ極まりないのは、はっきりしているのである。そんな社会環境から生まれてくる様々な種類の多くの沖縄の「障害者」の人たちを、沖縄社会を歪めている諸悪の根源である在沖日米軍事基地の解体、名護新基地建設阻止、高江ヘリパット建設阻止の闘いの場へと、いかに組織化して「健常者」との革命的共同で沖縄の全基地を解体・一掃し、沖縄社会の革命的再建、沖縄人民解放闘争へと、共に攻め上っていくのかが沖縄の「障害者」解放運動の大きな課題であろう。沖縄―日本「本土」貫く革命的共同でファシズム優生思想を粉砕し、安保を粉砕し、日帝の朝鮮反革命戦争を阻止する一翼を沖縄の全「障害者」は担っていかなければならない。沖縄の「障害者」解放は、そのことによりかちとられるのである。そして、「障害者」「健常者」の分け隔てなく生きられる社会、共産主義社会の実現をなんとしても成し遂げていこうではありませんか。