村松謙和さんを追悼する

 4月9日、全国「障害者」解放運動共闘会議(全「障」共)の幹事である村松謙和(のりかず)さんが、東京台東区のアパートで死亡しているところを発見された。死亡は、4月8日、病状悪化に伴う治療薬の過度の摂取によるものと思われる。享年56歳。

 

 村松さんは、1960年に静岡県で生まれ、1984年、淑徳大学社会福祉学部社会福祉学科卒業後、群馬県の「知的障害者」福祉施設で二十数年間、施設職員として働く。その間に「躁うつ病」、「パニック障害」などを発症し、数年間は、通院しながら勤務するが、勤務に耐えられなくなり退職し、実家に戻る。野宿者問題に関心を持ち、山谷を訪れた際に、東京・山谷日雇労働組合(東京・山日労)と知り合う。以降、反戦闘争や政治闘争に静岡から決起してきた。

 

 2011年4月に上京し、山谷地区のアパートに移り住み、東京・山日労の支援として活動を開始する。施設職員時に得た経験を活かし、山谷労働者の生活保護申請に同行し、生活保護受給へのサポートなども行なってきた。また、刑法改悪阻止関東活動者会議(刑関活)に結集し、「障害者」解放闘争を担うことを決意して、「障害者総合支援法」施行糾弾の闘い、「心神喪失者等医療観察法」施行を糾弾する対国立精神・神経医療研究センター(旧武蔵病院)デモ、宇都宮病院糾弾闘争に決起してきた。さらに、東京都地域連合労働組合に結集し、労働運動にも取り組んできた。2013年12月の全「障」共結成にあたっては、全「障」共運動を牽引するものとして、幹事を引き受け、担ってきた。

 

 その中で、東京・山日労に結集する労働者を含め、山谷地区で生活する労働者に「精神病者」、「障害者」が多い中、「全『障』共ニュース」発行の度に学習会を組織し、闘争へのオルグを行ない、「精神病者」、「障害者」が自ら闘いの先頭に起つべく、精力的に組織化を担ってきた。

 

 村松さんは、責任感が強く、真面目であった。「全『障』共ニュース」の学習会では、「ニュース」を拡大コピーし、ルビをふるという丁寧さであった。介護支援が必要となった東京・山日労のメンバーに対しては、自ら、介護事業所にヘルパーとして登録し、生活全般にわたる支援を行なっていた。権力に対しては、常に断固とした態度で対峙してきた。そうした日頃の態度に対して、仲間からの信頼感も厚かった。

 

 しかし、責任感が強く、真面目な性格の中で、時に病状が悪化し、緊張から震えが止まらず闘争に参加できないこともあったが、群馬県の主治医を訪ね、病状や薬の相談をしながら、闘いへの情熱をかき立ててきた。にもかかわらず、2016年4月に、病状悪化のために長期療養に入り、休養することを余儀なくされた。

 

 実家での生活を絶ち、50歳にして闘いへの道を選択した村松さんは、六年間という短い期間ではあったが、「精神病者」解放、「障害者」解放をライフワークとし、全人民解放、プロレタリア革命への道を疾走した。「精神病者」、「障害者」との付き合いは丁寧であり、多くの仲間から頼りにされてきた。

 

 こうした村松謙和さんの遺志を引き継ぎ、「精神病者」解放、「障害者」解放の闘いを前進させることを誓い、追悼とする。

 

                       2017年6月

                       全国「障害者」解放運動共闘会議(全「障」共)